メインロゴ
  1. スポボラ.netトップ
  2. 活躍する人たち
  3. 根木 慎志さん

2021-04-09

パラリンピックで社会は変わるー今こそ、未来を思ってワクワクしよう

根木 慎志さん

Negi Shinji

[所属] 車いすバスケットボール元日本代表/日本財団パラリンピックサポートセンター「あすチャレ!」プロジェクトディレクター/日本財団HEROs アンバサダー

車いすバスケットボールの体験会や講演会に熱心な理由や想いとは?

スポーツの力、人間の可能性を伝えたい

僕の講演の大きなテーマは、「誰もが違いを認めて、素敵に輝ける社会」です。

今から38年前、僕は高校卒業目前の18歳のときに、交通事故に遭って下半身がまひしました。小学校は柔道で全国大会出場、中学は水泳で奈良県記録を樹立、高校ではサッカーと、僕の人生にはいつもスポーツがありました。だから、車いす生活になって、「もうスポーツはできない。人生が終わった」と、すごく落ち込みました。

事故から半年、まだ入院中のある日、病室に車いすの見知らぬ男性がやってきました。「バスケしない?」って。最初は驚きましたが、すごい笑顔で車いすバスケの魅力を話すので、後日、練習を見学することにしました。体育館に行くと、上半身を鍛え上げた選手たちが車いすの車輪をキュキュッと鳴らしながら、激しく、そして楽しそうにプレーしていたんです。鳥肌が立ちました。「人間ってすごい!」。それからは僕も、リハビリに積極的に取り組むようになりました。「早く退院して、車いすバスケがしたい」と目標ができたからです。20歳で退院し、すぐにチームに入りました。

講演活動を始めたのは、その頃です。中学の恩師から、「車いすで生活する大変さなど、君の体験を生徒たちに話してほしい」と声をかけられたのがきっかけです。まだバリアフリーもパラスポーツも広まっていない時代でしたから困りごとばかりで、僕は話しながら泣いてしまいました。でも、「大変さ」は伝わったようで、生徒からは「今度、車いすの人と会ったら、手伝います」などの感想が聞かれ、好評でした。

他校からも呼ばれるようになったのですが、そのうち僕は違和感を覚えるようになりました。僕の話では、「障害者は大変で困っていて、かわいそうな人」という印象を、与えてしまっているのではないかと感じたからです。僕はすでに運転免許を取り、車いすバスケの練習にも通っていたし、体育館に行けばイキイキと活動している大勢の仲間たちもいましたから。

そこで、ある講演会で初めて、車いすバスケの体験も加えました。体育館でバスケ用の車いすに乗り換えて走り出すと、子どもたちから「すご~い」と歓声がわきました。シュートに挑戦すると、まだ初心者なのでなかなか決まらず、自然に拍手や声援が起こりました。11本目にやっと成功したら、「うぉ~」。体育館が一体感に包まれました。障害など関係なく、1人の人間としてチャレンジし続けた姿が、子どもたちの心に響いたのでしょう。僕は彼らから、「スポーツを通じた人間の可能性」を教わった気がして、僕の伝えるべきことは、「スポーツの力だ!」と、そのとき、思ったのです。

講演活動やパラスポーツ体験会の内容や手ごたえは?

子どもたちは、概念の変化をスッと受け入れてくれます

講演を始めて今年で36年。すでに全国3,600校以上に訪問、80万人以上に、「スポーツの力」を伝えてきました。現在のプログラムは、「見る、する、聞く」で構成しています。

まず、車いすバスケで輝いている僕自身を見せ、子どもたちにもプレーしてもらうことで、障害があっても一人の人間として挑戦したり、楽しんだり、プレーで感動させることだってできると伝えて、「障害の概念」を変えます。

その後に、「もし学校にエレベーターがないと僕は困る」と話すことで、「車いすに乗っていることが障害ではなく、階段しかないことが障害だ」と伝えます。「でも、みんなが担いでくれたら、昇れるね。障害は社会の中にあるんだね」ということを理解してもらいたいのです。

嬉しかったエピソードがあります。ある時、「根木さん、僕の弟も障害者なんだ」「僕のお父さんも車いすなんだ」とニコニコしながら話してくれた生徒たちがいました。すると、他の生徒たちが、「弟、かわいいよな」「お父さん、車いす乗っているの、すごいね」と反応したんです。障害に対する見方の変化こそ、スポーツの力ですよね。

実はこうした変化を、子どもたちは割とスッと受け入れてくれます。でも、大人はどうしても、障害の有無にとらわれがちのようです。だから最近は、先生を対象にした事前研修会も開くようにしています。

障害者の困りごとやサポート方法の情報は大事ですが、障害者はかわいそうという一面だけを取り上げるのでなく、人にはみな違いがあって、それは強みにもなる。物事を多角的に見ることが大切で、そのためにはコミュニケーションをとり、相手を知ることが大切だといったことを指導してほしいと話しています。

東京2020大会の招致活動にも関わられた根木さんの考える、大会開催の意義とは?

「できない」を「できる」に変える姿を、自分の力に変える機会

招致活動には知人から誘われて加わり、特にパラリンピックの価値を伝えることに取り組み、「パラリンピックがくることで、社会は変わる」と言い続けてきました。

僕もそうですが、パラアスリートは、「できない」を「できる」に変えようといつも工夫し、努力しています。東京パラリンピックでは、初めて触れるパラの競技も多いと思いますが、さまざまな選手の頑張る姿からいろいろ感じると思います。共感して応援するようになり、そのうちに、自分ごととしてとらえられるようにもなって、障害のある子が、「スポーツをしたい」と思ったり、選手を支える人たちの姿を見て「ボランティアをやりたい」と思う人もいるかもしれない。そうして、社会は変わっていくのだと思うのです。

東京2020大会の開催が決まった2013年秋以降、パラスポーツ体験会も急増し、パラリンピックの知名度も90%以上になりました。選手の活躍や輝いている姿から、障害者に対する見方も、すごい勢いで変わっていると感じています。

例えば、僕も車いすで歩いていて声をかけられることも増えました。ありがたいなと感じています。だから、大会が開催された先に、さらにどんな変化が起きるのか、僕は楽しみで仕方ありません。

大会のボランティアとのエピソードやメッセージをお願いします。

大会後の未来を考えて、ワクワクしてほしい

僕は選手として2000年のシドニーパラリンピックに出場し、その後の大会にも観戦者や大会関係者などで参加してきました。どの大会でも、開催国の空港で最初に会うのがボランティアで、皆さんの笑顔から僕のパラリンピックはスタートするのです。

大会期間中もボランティアと会わない日はありません。皆さんのおかげで、選手は努力の成果を思う存分発揮できるし、観客も安心して楽しめます。そんな体験から、「ボランティアは大会の顔だ」と思っています。東京大会のボランティアとして活動予定の皆さんもきっと、そんな思いで応募してくださったのではないでしょうか。

でも今、コロナ禍で大会も延期され、不安になるのは当然です。辞退という選択も、残念ですが、間違っていないと思います。ただ、そんな今だからこそ、スポーツの果たす力は大きいと思っています。「選手の頑張る姿に勇気をもらったこと」や「応援する楽しさ」など、そんな記憶を思い出してほしいですね。

東京大会の開催にはまだ課題も多いし、今までと同じ形で実施するのは難しいかもしれません。でも、「できないをできるに変える」パラアスリートのように、みんなで新しい工夫をすることで、今までにないような新しい大会ができるのではないでしょうか。「そんな大会の開催後はどうなるのかな」と、未来に目を向けると、僕はワクワクが止まりません。

「新たな出会い」があったり、「変化のきっかけ」になったり、ボランティアの皆さんにもそれぞれ、東京大会への価値や期待感があると思います。今こそ、その思いを大切に、ワクワクしつづけてほしいなと願っています。

OTHER PEOPLE他の活躍する人たちを見る

一覧に戻る
ページトップへ