2020-02-20
ジョー ⚽さん
2ヶ月半のシーズンオフが終わり、Jリーグクラブのボランティアに今年初めて参加したときのことです。同じ持ち場で活動した今季で3年目の仲間から思いもよらない話を聞きました。ボランティアをやってみようと思ったものの、敷居が高そうに見えたので始めるまで2年くらい逡巡していたと言うのです。
こう思わせてしまうようではダメですね。やってみようと思った人が手を伸ばせば無理なく届くもの。これがスポーツボランティアに対する私の思いです。確かにリーダーや上級リーダーの役割を果たすには、それ相応の意欲や能力が求められますが、みんながそうである必要はありません。要求レベルが高まれば高まるほど、裾野の広がりからは遠ざかっていきます。大切なことはスポーツボランティア人口が増えること、そしてスポーツボランティアが日常の中に取り込まれて、息長く継続されることだと考えます。
スポーツボランティアのあるべき人口分布を山の姿で例えるならば、難攻不落の北アルプスの峰々ではなく富士山です。北アルプスの峰々は登山口にたどり着くだけでも簡単ではありません。入口に立つことすら難しければ人口は増えません。富士山は裾野が大きく広がっていて、その裾野にたどり着くことであればそんなに困難ではありません。それでいて高みを極めたい人にはその道も存在しています。裾野に多くの人がやってきて、中には高みを目指す人がいる。これが望ましい姿ではないでしょうか。
では、敷居が高そうに見られないためにはどうすればいいでしょうか。難しいことではないです。気持ちさえあれば誰でも、こんな私でもできます。やってみると楽しいことや、さまざまな人との出会いがあります。やりがいを感じられます。気負わず肩の力を抜いて、気軽に取り組みましょう。そして、楽しみましょう。スポーツボランティアについて、こういうメッセージを地道に送り続けるしかないのかもしれません。言いえて妙な井上ひさしの名言を引用します。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
2019年10月10日号の日記に書いた東北スポーツボランティアサミット。そこではこんな出来事も。私はパブリックビューイングの会場で釜石の麻衣さん(仮名)と話をしていました。そこにたまたま現れたのは麻衣さんの友達の美咲さん(仮名)。サミットとは別の目的で東京から来ていた美咲さんは、毎月11日にだけ開かれる食堂の運営メンバーの一人だというのです。11日の意味は東日本大震災の月命日。開催月ごとに東北各地から一ヶ所がテーマに選ばれ、その土地の食材を使った料理が提供されます。それを東北や震災について考えるきっかけにしてほしいとの願いが込められています。この話を聞いてすぐ興味を持った私は、迷うことなく次の11日に行こうと決めました。
その食堂に行ってみると運営メンバーはもちろんのこと、そこに集うお客さんも熱い思いを持つ人ばかり。定年退職を機に郷里へ戻って東北の農家と都市の消費者をつなぐ取り組みを始めようとしている人、地域創生専攻で地域活性化の滞在型実習を機に東北との関わりを深めた学生、本業の傍ら地域のスポーツ振興に携わる会社員。多士済々の集まりに感心しきり。料理も手が込んでいます。テーマに選ばれた土地の生産者を運営メンバーが訪ねて、おすすめの食材や料理法を教えてもらうので本格的でした。
そこで生まれた新たな出会い、そこで聞いた興味深い話、そこで食べたおいしい料理。どれもこれも”いいね”の連続でしたが、何よりもすばらしいと感じたことは、この取り組みそのものです。社会課題に着目する、その解決に向けて実行する、そしてそれを持続する。簡単なことではないと思います。
JSVNはスポーツ以外のボランティアについても視野に入れています。スポーツボランティアを入り口として、まちづくり、環境、災害支援、福祉などのボランティア活動にも携わる人を増やしたい。そうすることによって少しずつでも共助社会に向かっていくものと考えています。私の中で東北スポーツボランティアサミットがこの食堂につながったことは、同じような流れなのかもしれません。新しい世界に踏み出すきっかけは思いもよらないところにあるのです。
--------------------
写真:食堂で提供される東北各地の食材を使った料理も楽しみの一つ